千代丸地蔵尊

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高知市吸江

一條兼定が元親に滅ぼされた時、子の内政は、大津城に移り住んだ。ところが天正8年(1580)元親の女婿波川玄蕃が反乱を企てたその密書の中に内政も名を連ねていた。そこで元親は玄蕃も内政も攻め殺してしまった。この内政の子が千代丸である。まだ年が若かったので吸江寺にあずけられた。これは母親が元親に哀願したためである。千代丸は成長するにつれ、元親を恨むことが強くなった。時には和尚の言うことも聞かず教えも受けない。短刀を何時も懐中にして元親をねらった。元親はこれを知って立腹し、久保内庄右衛門に殺害を命じた。その臣の善次郎、源七は天正17年(1589)9月19日未明、千代丸を吸江湾に連れ出し左文字の名刀で斬首した。時に千代丸12歳であった。刎ねられた首は船べりに噛りつき、なかなか離れない。遂に棹でなぐり落とした。後の人が千代丸をあわれみ、ここに祀ったものである。

千代丸地蔵尊

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