おちよ地蔵

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高知市朝倉

今から百四十年ばかり前、朝倉堤は大雨のたびに決壊し、朝倉や鴨田はひどい水害に悩まされていました。ある年、水神さまをしずめる為に、人柱をたてる事になり、お百姓さんの娘ちよに、白羽の矢がたちました。ちよは十三歳の美しい娘で、母親と二人幸せに暮らしておりましたが、村人達のたっての願いに、母親の面倒をみてもらうという約束で、人柱にたちました。それから何年かの年月が過ぎ、村人達は、ちよとの約束も忘れ、やがて一人残された母親は、寂しく死んでいきました。ある年の夏、大雨が降り鏡川の水があふれ、人々は大きな痛手をうけました。誰というとなく「ちよのお母さんを放っておいた罰があたったんじゃ」と、いうことになり、村人達は二人の霊をなぐさめようと、母子二体の地蔵を千代ばねの見える堤の上に建てました。これが「ちよ地蔵」の由来です。向かって右がお母さん、左が娘のちよです。台石には嘉永七年二月建立の銘が刻まれています。
 母子地蔵は全国的にも大変珍しく、県内ではここ一ヶ所だけと、いわれています。

おちよ地蔵

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