清滝寺

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高知県:NO35

(三十五番札所)医王山清滝寺 真言宗豊山派 本尊:薬師如来
高知県土佐市高岡町清滝丁568−1 駐車場15台

仁淀川を渡り、国道五十五号線からいの方面へと仁淀川をさかのぼり、天山から西へ進むとやがて山の中腹にめざす清滝寺がある。この地方は、生姜と文丹の産地である。昔は三又の原産地として、土佐和紙をささえてきたが今はその面影はない。八丁坂と呼ばれる急な斜面を登る。すると、暗い木立の中に、ひょっこりと山門が姿を現す。天井には竜の絵がかかれている。山門をくぐって、さらに急な石段を登る。境内には、まず大きな薬師如来立像が目に入る。製紙業者によって昭和八年に寄進されたもので、種間寺に次いでこの寺も本尊は薬師である。宝物館に重文指定の本尊は収蔵されていて、本堂では拝むことができない。この寺は種間寺と同じく安産祈願の寺として有名である。底の抜けたヒシャクが堂の回りに無数に奉納されている。「清い水」と「種」ということば、そして、すっぽりと底が抜けるようにとの安産の願いにむすびついているのであろう。寺の左手に「入らずの山」があって弘法大師の十大弟子の一人、真如の逆修塔が立っている。生きているうちに作る自らの墓である。真如は僧名である。元は平成天皇の第三皇子で高岳親王と呼ばれた人であったが、薬子の変によって皇太子を廃され、弘法大師の弟子となり、三論・法相を学ぶとともに超昇寺・不退寺を創建し、斉衡二年(855)には修理東大寺大仏司検校となった人である。その間大師に密教を学び、名を真如とあらためられたが、後、入唐を上奏し、貞観四年(862)、南海道を経て中国へ向かい、さらにインドをめざして流砂を渡らんとして、羅越国(らおすこく)で虎害に遭って入寂されたという。七十余歳であった。この寺があるあたりが「高岡郡」と呼ばれていることと高岳親王という名がだぶって、清滝寺に逆修塔を後に作らせて伝説化したものか、それをたぐる糸は親王がラオスでこの世をさってしまった今は知る由もないが、あながち伝説とばかりいいきれないところもある。寺の上方、石土の森という山の頂に登ると、はるか北西に石槌連峰が見渡せる。冬期は雪をいただいた白い連山が手にとるように近く見渡せる。もし、不遇の老僧真如がこの場所に立ったとしたら、入唐の後、インドへ向けて、さらに求道の旅をつづけた、その人の胸中を去来したものは、どのような思いであったのであろうか。

清滝寺

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